男子にとって「自慢できる彼女」と「自慢できない彼女」とは?


若いうちは、男子にとって自慢できる彼女とは、単純に美しい女子でしょう。
連れて歩いていたら、次の日「お前の彼女、めっちゃ美人じゃん」と男友だちに言われるような彼女が「自慢できる彼女」だし、「自慢できない彼女」とは、その逆のパターンでしょう。
でも、あるていど歳を重ねてくれば、男も変わってきます。

あるていど歳を重ねてきたら・・・

あるていど歳を重ねてきたら、美人さんを取っ替えひっかえしているようでは「頭が悪い男」と思われてくるから、彼女が美人であるかどうか、という判断基準が薄れてくる。

一緒にいて居心地がいい彼女が「自慢できる彼女」になったりもする。
もちろん女子は「彼にいつまでもキレイと言ってもらえるように顔やカラダの手入れをぬかりなくしたい」と思うでしょうし、それはそれでいいことだろうと思いますが、男はきっと、歳とともに、「一緒にいてほっとできるかどうか」というところを考えるようになる。


若いうちのデートは、とかく「特別なこと」をしたいでしょう。
行列ができる原宿のお店に彼と行って一緒に並ぶとか、そういう「特別なこと」をしたいと思います。

でも、歳を重ねてゆくうちに、おうちでごはんを作って一緒に食べて、DVDを観て寝るだけ……という、なんでもないことが「いいこと・ステキな時間」に思えてきます。

そういうとき、男にとって「自慢できる彼女」とは「一緒にいて居心地がいい」彼女のことでしょう。

他人がほしがっている俺の彼女は最高!?

もっとも、男として、おそらく生涯変わらないであろう「自慢できる彼女」とは、「他人がほしがっている女性」だったりもします。

たとえば高級クラブのママと付き合いたがる男がいつの時代にもいるというのは、「ほかの多くの男の憧れの的である女性と付き合いたい」という気持ちがあるはずです。
車とおなじですね。
「男なら死ぬまでに1度は乗ってみたいと憧れているフェラーリに乗りたい」というのは、そういうことでしょう。

だって、フェラーリって車高が低いので乗りづらいし、運転したらエンジンの音が大きくて車内の会話も聞こえないし、性能としては、非常にマニアックなものです。

でも、「ほかの多くの男が憧れているから」という理由だけで、男はその乗りづらくやかましい金属の塊に何千万円も支払うがいる。
そういう意味で、フェラーリという車は少々得をしていると言える。


女子のみなさんは、男は「一緒にいて居心地がいい」女子のことを自慢したくなる、と思っておくといいと思います。

そのうえで、「ほかの男にも言い寄られている」事実があるならば、彼は「もっと」自慢したくなるでしょうけど、そんなもの、愛のオプションにすぎません。
フェラーリが人生のオプションでなければ、人生のオプションとはいったいなんなんだろう? ということです。

車の本質が、「それに乗って移動できること」にあるのとおなじように、恋愛の本質はいつの時代も「安らげるかどうか」にあります。(ひとみしょう/ライター)

(ハウコレ編集部)
(大倉士門/モデル)