2019.09.24 更新PR

彼にたくさん愛してほしいなら、愛してほしいと思ってはならない

「わたしは彼に喜んでもらいたいと思って色々しているのに、彼はどうしてわたしの気持ちに応えてくれないんだろう」

とある飲み会で知り合いがそんな愚痴をこぼしており、周囲の女性が「わかるわ」「ホントそれ」と激しく相づちを打っていました。

僕はその光景を横目に見ながら、心の中で「”そう思っているから”でしょうに」とツッコミつつ唐揚げとハイボールに舌鼓を打っていました。
愛し合っているカップルと聞くと「感謝や気遣い、好意や優しさに溢れ、いつまでもラブラブチュッチュな関係」と言った、二人の周囲にハートマークが飛んでいるようなイメージが浮かぶと思います。

そのイメージが「愛を交換し合っている」ように錯覚させているのだと思うのですが、実際に愛し合っているカップルはお互いが一方通行の愛を飛ばし合っているだけなのです。

いえ、もはや本人たちは「愛を飛ばしている」とすら認識していないと思います。それが周囲から愛し合っていると認識されているだけで。

ホンモノの愛はすごく地味で、されたことにすら気づかないほど日常に溶け込んでいます

もし一方が「これだけ”与えている”のに、”返ってこない”」と感じているのなら、その”与えているもの”の正体は「愛」ではなく、ただの「好意」です。
人間には「好意の返報性」という法則が働くので、与えられた好意には(それが純粋な気持ちから来ていない見せかけの好意であっても)返さなきゃという心理が働きます。

実際に、経験上「与えれば返ってくる」と思っている人も多いと思います。(例えばバレンタインデーのチョコに対するホワイトデーのお返しとか)

しかしその法則は「愛」には通用しません。なぜなら「愛」は、与えた側にも“与えた”という認識がないので、与えられた側も“与えられた”と気づかないために、返しようがないのです。

ですから、冒頭の彼女のように「返ってくることを期待している」時点で、本当に愛し合うことなんてできないのです。

もちろん、あとあとになって「あの時あの人がしてくれたことは愛ゆえのものだった」と気づくことはありますが、本人にそれを伝えても「そんなことしたっけ?」と覚えていないことがほとんどです。
周囲から「愛し合っている」と思われている行為は、本人たちからすれば「愛?そんなこと考えたことない。ただそうしたいからそうしている」程度のものでしかありません。

「彼が愛してくれない」と悩んでいる人は、彼に「何か」を期待しすぎているのかもしれません。見返りを求めている可能性も高いです。

ただ誤解しないでほしいのは、見返りを求めて頑張ることは悪いことではありません。

僕だって読者さんの反応がほしいと思ってこの記事を書いていますし、どうしたら読者さんが僕の記事を好きになってくれるかを真剣に考えています。

これらの行為は「喜んでもらいたい」「ありがとうって言われたい」という承認欲求からくるものなので、至極当然の行為だと思います。(“愛”の領域で仕事ができる人なんているのでしょうか笑)
大事なことは、見返りを求めないことではなく、見返りなんかなくてもいいと思える相手に出会うことです

僕らは聖人みたいに「隣人を愛しなさい」と言われても「はいわかりました」とはなりません。

どうしたって愛せる人間と頑張っても愛せない人間がいます。その人を愛せるかどうか、は努力というよりも、マッチングによる部分が非常に大きいのです。

では、そんな相手にどうしたらマッチングできるのか?
そこで大事なるのが「愛してほしい」と思わないで生きることなんです

愛してほしい、という動機で恋愛を始めるから、マッチングしてしまう人も「愛してほしいと思っている人」になってしまうのです。

足りないもの同士は奪い合い、満ちてるもの同士は与え合います。

もしあなたが彼(今付き合っている“彼”ではないかもしれません)からの愛を望むのであれば、愛を望むような生き方をやめ、自分はもうすでに愛されていると信じなくてはならないのです。

そうすれば、マッチングする相手も自ずと「満たされている」相手になります。

満たされている同士がマッチングするからこそ、満たされているカップルになるんですよ。(川口美樹/ライター)

(ハウコレ編集部)

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