2018.07.27PR

「SEXすると好きになってしまう」現象はなぜ引き起こされるのか?

あらかじめ言っておきますが、この記事はワンナイトラブや、恋愛対象だとは思えない相手とのSEXの是非について問うものではありません。

それは個人の価値観に委ねられるもので、「そんなことしてはいけない」と思う人はしなければいいし、「恋愛とSEXは別物。楽しければいいじゃない」と思う人はすればいいというだけのこと。

しかし、まさにその価値観がブレブレであることには、注意喚起をしたいなと思っています。
「いやいや、あの人のことはなんとも思ってないから~」なんて言っていた女子が、ある日「どうしよう。勢いに流されて”ヤって”しまったら、好きになってしまった」と言い出す。

割とよく見る光景です。行為に及んだこと自体には責められることではないと思いますが、問題は「相手は本気じゃないってわかっているのに、好きになってしまった自分の感情はどう割り切ればいいの?」という悩みがついてきてしまっていることです。

どうしてこのようなことが起こってしまうのでしょうか?これは人間の認知的不協和という心理作用によって説明することができます。
そもそも、「認知的不協和」とはなんぞや?というところをご説明しましょう。

これまでの自分の信念や行動規範を脅かすような事実が目の前に現れた時に、人はものすごく不快感を抱きます。

それを解消しようとして、信念の方か事実の方、捻じ曲げるのが簡単そうな方を選んで、どちらかを否定しようとします。これが認知的不協和です。

例えば、お金持ちになりたい!と思っていた人が、頑張って努力した結果全財産を失ってしまった、という現実に直面した時、「もう一回頑張る」のはとても大変なことなので、もともとの信念の方を「お金が少なくても人生は楽しめる」とか「お金持ちなんて性格の悪いやつしかない」などと言って変えてしまうようなケースなどがあります。
恋愛において顕著なのは浮気や不倫です。

「自分は倫理的・道徳的な人間である」と思っている人が浮気や不倫をすると、不貞を働いた事実との認知的不協和を起こし、「魅力を失った彼女の方が悪い」「自分の方が被害者だ」「誘ってきた相手が悪い」などと正当化をして、自分の倫理性を守ろうとする心理が働きます。ここで積極的に「自分は人間のクズだ」と認められる人はごく僅かです。

これと同じ理屈で、「好きな人としかSEXしない私」(信念)が「好きじゃない人とSEXした」(現実)という認知的不協和を解消しようと、「好きな人とセックスした」という現実にするべく相手のことを好きになろうとする心理が働いてしまう、というわけです。

「好きな人としかSEXしない私」を「好きじゃない人とでもSEXする私」に変えるよりも、「好きじゃない相手」を「好きな相手」に変えるほうが心理的に楽なんです。

その証拠に、「付き合うつもりじゃない人とでも全然SEXするわ」と完全に割り切れてる人には認知的不協和は起こりません。信念と現実に矛盾がないからですね。
「好きな人としかSEXしない私」が「好きじゃない人とでもSEXし」ても、「あ、わたし案外そうでもなかったんだ」とさっぱり切り替えられる人はストレスが少なくて済みます。

一方で、「そんなはずはない!あたしは高潔な女!ヤリマンじゃないわ!ムキー!!」という心理状態は精神衛生的に良い状態だとは言えません。

自分に守れもしない約束をしてしまうと、その約束が破られた時に、自尊感情がなくなり自分に対して信用を無くしてしまい、悪循環が始まります。

ちょっとしたワンナイトラブくらいでぐらついてしまう信念であれば、むしろ自分のセクシャリティーを決めつけすぎずにニュートラルでいたほうがいいでしょう。

どんな価値観を抱こうと本人の自由なのでいいと思いますが、自分のことを傷つける自分だけにはなって欲しくないなと思うのです。(川口 美樹/ライター)

(ハウコレ編集部)

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