2018.10.29PR

打算で付き合っててもいい。それが恋だ

打算的な恋愛の少々極端な例を挙げるなら、たとえば彼がお金持ちだから付き合っているとか、彼は優しくて鈍感だからわたしが浮気しても気づかないだろうからキープとして交際し続けておくとか、そういう恋愛のことですよね。

打算的な恋愛が「いいもの」と世間では見なされないとわかっていても、でも打算的な恋愛をしてしまって、でも心のどこかで「そんな恋愛って、どこかしら良くないのだろうな」と思っている人は、そう思う必要なんてまったくないので、引き続き打算的な恋愛を楽しみましょう!というお話です。
そもそも誰だって、愛に打算があることくらい分かっているはずです。
たとえば、彼と交際する前、彼にあざといことをして彼の気を引き、付き合うことができたら、自分のことをマジメで浮気しない人として彼にアピールする……みたいなことをする人っていますよね。

これって良くないことではないはずです。誰だって、相手に愛されようと思えば計算が働くのだから(三歳児でも働くのだから)、愛に打算があっても全然OK、というか、そもそも愛は打算を含んでいるという事実が存在しているだけのこと。

打算を「いけないこと」と思っている人というのは、道徳をすごく信用している人です。相手が自分のことを愛してくれたら、計算抜きに誠実な態度でそれに応えなくてはならない――たとえばこう思っている人です。

こういう人を道徳の奴隷と呼びます、と言ったむかしの学者がいて、その世界においては1つの立派な定説となっているので、奴隷という強烈な言葉を使って表現しても「まあ許される」のかもしれません。

反対に、打算的な恋愛をすごく楽しんでいる人というのは、道徳を無視している人、ではなくて、どこかで人の心というものをよく学んできた人です。
つまり、愛ってきれいごとだけでは育っていかないじゃないですか。長く付き合っているカップルでも、ときに相手に嫉妬したり、相手のことを憎んでみたり、もう別れたいと思ってみたり、バレないように浮気したりなど、いろんなことを経験していることもあるのです。そういう愛のどこが100%ピュアで美しいのか?

打算的な恋愛に罪悪感を抱くことなく、むしろそれを楽しんでいる人が、人の心を知っている人だというのは、人の心の中にごくふつうにある「エグイ部分」を知っているということです。

エグイ部分から目をそらすことなく「まあ、自分も相手もおなじ人間なのだから、エグイ部分だってあるでしょう。エグイところがあるからといって、相手のことを嫌ったり不信に陥ったりするのは、自分のことも相手のことも否定することになるのだから、相手のエグイ部分が見えたからといって即座に別れるなんて判断をしないほうがいい」と思っている人です。
打算のない純粋な愛はプラトニックラブと呼ばれることもあるけれど、プラトニックラブのもともとの意味は、じつは「肉体から入って精神を愛しなさい」なんですよね。

肉体、つまり目に見える美しいものからまず入る、つまり「こんなに美しいものを自分のものにしたい」と打算的に思う、つまりエッチする。そのあとに精神的な愛を目指しなさいというのが、そもそもの意味なんです。が、今の日本は、打算抜きの100%純粋ピュアな愛のことをプラトニックラブだと誤解していますよね。

まずは肉体から……というのは、打算から入ってもOKということ。大昔の人は打算から始まってしばらくの間、打算で付き合う恋愛を肯定していました。ただし、ゆくゆくは精神的なことも愛せるようになりなさいと言いました。

ゆくゆくは精神的なことを愛せるようになりなさいなんて、いちいち言わなくても、心の奥底では誰もがそう願っているでしょ?だから、ここでは打算で付き合ってもいい、とだけ言います。

打算で恋愛するのを否定するというのは、あなたの存在そのものをあなた自身が否定することになるので、それはやめたほうがいい。そんな哀しいことなんて、やる必要がないです。
打算で付き合ってもいい、それが恋愛だ、と思っておくといいのです。そうやって、自分で自分の恋愛を肯定するところから、精神的に深遠な愛が始まるのだから。(ひとみしょう/作家)

『今夜はちょっと、恋の話をしよう』(ハウコレ編集部)

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