
生徒の1人にだけ厳しかった私が、洗い場の前でやっと言えたこと
コラム
描き直しのたびに線が変わっていく生徒が、教室に1人だけいました。その絵をどうしたいのかを、私は当の本人にだけ話していなかったのです。理由は、指導のためではありませんでした。
洗い場の蛇口の音が、ほかの生徒が帰ったあとの教室に残っていました。私が水彩画を教えるようになって11年、居残って筆を洗う人はそう多くありません。その日も、いちばん奥の席の人だけがまだバケツを抱えていました。
直しを言える生徒
駅前のビルの3階で、私は月に2回、10人ほどの生徒に水彩画を教えています。ほとんどが趣味として来ている方で、その日も隣の席の方には「いいですね。このまま仕上げましょう」と声を掛けました。楽しく描いて帰ってもらうことが、この教室の役目だと思っているからです。ですが、一番奥の席の人だけは、違いました。
2年前に入ってきたその人は、家で描き直した絵を毎回持ってきます。八百屋の店先を描いた絵は、その回で4度目の描き直しでした。私は空の部分を指さして言いました。
「ここ、描き直してきてください」
直すたびに、看板の線と人の影が変わっていくのが分かっていました。
言わなかった理由
直す理由を、私はその人に一度も説明しませんでした。ほめてしまえば、そこで手を止める人を何人も見てきたからです。ただ、それは教える側の言い分でしかありません。
本当のところは、説明して伝わらなかったときのことが怖かったのだと思います。線が良くなっていると口にして、それきり直しを受け取ってもらえなくなるのが怖かった。私は直させることで、言葉にする役目から逃げていました。
休憩のとき、隣の席の方が「先生に初めてほめられた」と笑っているのが聞こえました。奥の席の人は、そのあいだ水入れを持って洗い場に立っていました。
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洗い場の質問



























