「昨日の、単語帳?」定時で帰る後輩を呼び止めた翌日、給湯室で私が聞いたこと

コラム

「あのさ、やる気」まで出ました

数日後、後輩が鞄を肩にかけた瞬間に、笑顔を作って席を立ちました。

「ちょっといい?」

「はい」

振り返った後輩は、鞄の口を閉めきらないまま、こちらに体を向けました。言おうとしていたのは「やる気ある?」でした。冗談の顔で言えば、角が立たないと思っていたのです。

「あのさ、やる気」

そこまで出たところで、視線が下に落ちました。鞄の口から、リング式の単語帳がのぞいています。その横には、黄色い付箋の束が、輪ゴムで留められていました。一番上の1枚には、丸い字で「請求の締めは20日」と書いてあります。新人の頃、何度も確認しに行った締め日でした。

単語帳のリングは使い込まれて、金具の色が薄くなっています。付箋の束は、指で押さえないと広がるほどの厚みでした。見えたのは、それだけです。それでも、言いかけた言葉と目の前の束とを、同じ場所に置くことができませんでした。続きの代わりに出たのは、まるで別の言葉です。

「なんでもない。お疲れさま」

「お疲れさまです」

後輩は鞄の口を閉めて、フロアを出ていきました。自分の席に戻り、開いたままの見積画面を見ていました。

次の日、休憩で給湯室に並んだとき、迷った末に聞きました。

「昨日の、単語帳?」

「はい。仕事の用語です。覚えきれなくて」

それだけでした。彼女は自分から続けようとはせず、私も深くは聞きませんでした。ただ、締め日の付箋が束の一番上にあった理由は、なんとなく分かりました。あの日、彼女が請求の締め日の確認で声をかけてきたとき、画面から目を離さずに「20日」とだけ返したからです。彼女はそれを書きとめて、持ち帰っていた。短く答えた側の記憶が、こんなに薄いことの方に、居心地の悪さを覚えました。

残った時間の長さを、ずっと熱意の目盛りにしていました。共有欄で終わっていると確かめたあとでさえ、目盛りの方を信じていたのです。会社に残ることで安心していた自分と、別の時間を使って覚えていた彼女。やり方が違うだけなのに、片方だけを努力と呼び、もう片方には名前すらつけていませんでした。

そして...

その週のうちに、共有フォルダにファイルを1つ増やしました。支店コードと締め日、差し戻しで多い理由をまとめた一覧です。ファイル名を伝えると、後輩は短くお礼を言って、それきりでした。

それからしばらくして、定時の前に後輩が席まで来ました。

「これ、明日でも大丈夫ですか?」

以前なら、みんな残っているのだから今日やればと、口に出さなくても思っていたはずです。

「うん、それなら明日で大丈夫だよ」

彼女が帰ったあと、自分の画面に並んだ仕事を見直しました。今日中でなくていいものを閉じていくと、残ったのは2件だけでした。その2件を片づけて、いつもより2本早い電車に乗りました。共有フォルダの一覧には、先週、彼女の追記が増えていました。

(30代女性・営業事務)

本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。

(ハウコレ編集部)

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