「まあ、代わってあげればいいのにね」と小声で言った俺が、あの夫婦の前で慌てた本当の理由

コラム

その声が、俺たちのほうを向いた

「こちらの方々が代わってくれるそうですよ!ありがたいですよね」

通路に立っていた連れの女性が、こちらに手のひらを向けていました。周りの乗客が一斉に顔を上げ、夫婦も振り返ります。

「えっ、いや……」

続く言葉を探しているうちに、後輩はスマホの画面に目を落としていました。

夫婦の視線が、まっすぐこちらに向いています。ここで譲れば、得意先での説明は準備不足のまま。譲らなければ、さっきの言葉がそのまま自分に返ってくる。どちらを選んでも、言い逃れはできない状況でした。

膝の上の鞄を抱え直して、早口で言いました。

「すみません、仕事の資料があるので」

予約して取った席を譲れないのは、窓側の彼女も同じだったはずです。

年配の男性は、短く鼻を鳴らしました。

「なんだ、口だけか」

夫婦はそれ以上何も言わず、デッキの扉の向こうへ歩いていきました。

そして...

ようやく席に着いた2人のほうから、小さな話し声が聞こえてきます。そちらへ顔を向けられず、鞄を膝に抱えたまま窓の外を眺めていました。後輩とも、それきり言葉を交わしていません。

自分に譲れない理由があるように、彼女にも理由があった。そんな当たり前のことを、座ったまま見落としていました。頭を下げに行くきっかけを探しているうちに、列車は降りる駅に近づいていきます。

仕事の資料は鞄にしまったまま、ホームに降りました。

(30代男性・営業職)

本記事は、読者アンケートに寄せられた実体験をもとにした本人視点の記事を参考に、相手側の心情を想定して制作しています。実際の相手本人への取材ではなく、編集部による解釈を含みます。

(ハウコレ編集部)

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