
「お母さんが作ってよ」と言われた私。それでも料理ノートに日付を残していました
コラム
食べさせてきた料理の作り方を、私は娘にほとんど教えていませんでした。それに気づいたのは、家を出ると聞いた日です。口では切り方と分量を直しながら、そのことだけは言えずにいました。
娘が夕食を作ると言う日は、私は昔から使っている料理ノートを持って横に立ちました。
一緒に台所へ立ったことがほとんどありませんでした
娘が小さいころ、私は仕事で帰りが遅く、夕食は朝や休みの日に作り置きをして、温めて先に食べてもらっていました。肉じゃがも煮魚もだし巻き卵も何度も作りましたが、一緒に台所へ立ったことはほとんどありません。それでも毎日の食事は用意できているのだから足りていると思っていました。1人暮らしをすると聞いた日に料理ノートを開き、この中の料理を娘は食べてきたのに、作り方は知らないままなのだと気づきました。
娘が決めた味に、私は調味料を足していました
娘は月に1度ほど帰ってきて、夕食は自分が作ると言います。今からでも一緒に作れると思い、私はノートを持って横に立ちました。肉じゃがの日は人参を切る手元を見て「その切り方だと、火が通りにくいよ」と言い、煮汁には家の分量を教えます。娘が味見をして決めたあとも、ノートの分量に近づくまで調味料を足しました。食卓に並ぶころには、娘が作り始めたものが私の味になっていたはずです。それでも私は、その料理のページに一緒に作った日付を書いて、次は何を作れるだろうと考えていました。
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「私が作ったら、あなたが覚えられないでしょう」




























