
防犯カメラに映った息子の姿を見て、ようやく気づいた。「信じたい」と「向き合う」は違うということに
コラム
「うちの子に限って」その言葉を口にするたびに、見えなくなっていくものがありました。防犯カメラの前で、ようやくそのことに気づいたのです。
ひとりで回していた毎日
夫と別れて2年。小学3年生の息子と2人暮らしの日々は、想像していたよりずっと慌ただしいものでした。朝は息子より先に家を出て、帰りは息子が寝る直前になることも珍しくありません。「ごめんね、今日も遅くなった」が毎晩の決まり文句になっていました。
学校から「最近お友達とうまくいっていないようです」と連絡を受けたときも、「うちの子は優しい子ですから大丈夫です」と答えました。
そう言い聞かせていたのは、先生にではなく自分自身にだったのかもしれません。認めてしまったら、今の生活をどう立て直せばいいのかわからなかったのです。
階下からの訪問
日曜日の夕方、下の階の母親が訪ねてきました。「娘が泣いて帰ってきたんです。お宅の息子さんに突き飛ばされたと言っています」
とっさに「うちの息子がそんなことするわけない」と返していました。
本心でした。少なくともそのときは、信じていたのです。「子どものことですから、何かの間違いじゃないですか」そう続けながらも、胸の奥で嫌な予感がちくりと走っていたことに気づいていました。
相手の母親が「それなら、防犯カメラの映像を確認してもらえませんか」と言ったとき、断れませんでした。断ったら、本当に息子がやったと認めることになる気がしたからです。
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画面の中の知らない顔


























