
友人への返済を、毎回わざと少しだけ残していた私。最後の100円を手放せなかった理由
コラム
財布にお金はあるのに、友人への返済をいつも少しだけ残していた私。「細かいのはもういいよ」と言われても、どうしても首を縦に振れなかったのには理由がありました。
改札を抜けたあとも、友人から渡された封筒を握ったままでした。中のメモには、見覚えのある店の名前が並んでいます。どれも、私が「残りは次ね」と言った日のものでした。
返し終えた日に途切れたもの
小学生のころ、父の転勤で3回学校が変わりました。2回目の学校で仲よくなった子とは、漫画や文房具を貸し借りしてばかりいました。引っ越しが決まると、母に「借りたものは全部返してから行きなさい」と言われ、最後の登校日に紙袋ごと返しました。
「これで貸し借りなしだね」
その子は笑って、手紙を書くと約束してくれました。けれど届いたのは1通だけ。こちらから出した2通目に、返事はありませんでした。
子どもの約束だと分かっていても、その出来事以来、何かを全部返し終えることに妙な寂しさを感じるようになりました。清算しきったら関係も終わってしまう。大人になっても、その思い込みから抜け出せずにいたのです。
友人にだけしていたこと
大学で出会った友人は、引っ越しを繰り返してきた私にとって、初めて10年続いた相手でした。だからこそ、終わらせたくなかった。
社会人になって、会う間隔が少しずつ空き始めたころのことです。
レジの前で「あとで返すから払っといて」と言い、払ってもらう。次に会ったとき、少しだけ残して返す。
前の分を返して今回分を少し残せば、貸し借りは続いていくと頭では分かっていました。けれど、小さな残りなら「もういいよ」の一言で消されてしまうかもしれない。積み上がった額なら簡単には帳消しにできないし、返し終えるまでは友人にも私と会う理由が残る。私は勝手にそう思い込んでいました。残額が増えれば増えるほど、私はどこかで安心していたのです。
だから「細かいのはもういいよ。残りはなしで」と言われたとき、強く首を振りました。いちばん聞きたくなかった一言だったからです。
持ち帰りのケーキまで、友人の会計に入れたこともあります。立て替えの手間も待たされる時間も、全部背負わせていました。失礼だと、どこかで分かっていながら。
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封筒の中のメモ

























