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打算で付き合っててもいい。それが恋だ

コラム

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ひとみしょう


打算的な恋愛の少々極端な例を挙げるなら、たとえば彼がお金持ちだから付き合っているとか、彼は優しくて鈍感だからわたしが浮気しても気づかないだろうからキープとして交際し続けておくとか、そういう恋愛のことですよね。


打算的な恋愛が「いいもの」と世間では見なされないとわかっていても、でも打算的な恋愛をしてしまって、でも心のどこかで「そんな恋愛って、どこかしら良くないのだろうな」と思っている人は、そう思う必要なんてまったくないので、引き続き打算的な恋愛を楽しみましょう!というお話です。

■「打算のない愛=とても素晴らしい愛」とは限らない

そもそも誰だって、愛に打算があることくらい分かっているはずです。

たとえば、彼と交際する前、彼にあざといことをして彼の気を引き、付き合うことができたら、自分のことをマジメで浮気しない人として彼にアピールする……みたいなことをする人っていますよね。


これって良くないことではないはずです。誰だって、相手に愛されようと思えば計算が働くのだから(三歳児でも働くのだから)、愛に打算があっても全然OK、というか、そもそも愛は打算を含んでいるという事実が存在しているだけのこと。


打算を「いけないこと」と思っている人というのは、道徳をすごく信用している人です。相手が自分のことを愛してくれたら、計算抜きに誠実な態度でそれに応えなくてはならない――たとえばこう思っている人です。


こういう人を道徳の奴隷と呼びます、と言ったむかしの学者がいて、その世界においては1つの立派な定説となっているので、奴隷という強烈な言葉を使って表現しても「まあ許される」のかもしれません。


反対に、打算的な恋愛をすごく楽しんでいる人というのは、道徳を無視している人、ではなくて、どこかで人の心というものをよく学んできた人です。

■愛ってきれいごとだけでは育たないから

つまり、愛ってきれいごとだけでは育っていかないじゃないですか。長く付き合っているカップルでも、ときに相手に嫉妬したり、相手のことを憎んでみたり、もう別れたいと思ってみたり、バレないように浮気したりなど、いろんなことを経験していることもあるのです。そういう愛のどこが100%ピュアで美しいのか?


打算的な恋愛に罪悪感を抱くことなく、むしろそれを楽しんでいる人が、人の心を知っている人だというのは、人の心の中にごくふつうにある「エグイ部分」を知っているということです。


エグイ部分から目をそらすことなく「まあ、自分も相手もおなじ人間なのだから、エグイ部分だってあるでしょう。エグイところがあるからといって、相手のことを嫌ったり不信に陥ったりするのは、自分のことも相手のことも否定することになるのだから、相手のエグイ部分が見えたからといって即座に別れるなんて判断をしないほうがいい」と思っている人です。

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