友人の恋人は、兄が3年前に別れた人でした。彼女が席を立ったすきに俺が打ち明けたこと

コラム

彼女がいないあいだに、友人へ兄とのことを話しました。最後に付け足した頼みは、戻ってきた彼女の耳にも届いていたのかもしれません。

居酒屋の引き戸が開く音に振り返ると、入ってきた女性と目が合いました。3年ぶりでも、誰なのかはすぐに分かります。友人がこれから紹介しようとしている恋人は、兄が昔付き合っていた人でした。

とっさに選んだ挨拶

大学のサークル仲間の友人から、付き合って1年になる彼女を紹介したいと言われていました。仕事帰りに駅前の居酒屋で先に落ち合い、奥の席で待っていたところです。

近づいてきた彼女の前で、友人が俺を指さしました。

「こいつ、大学のサークルからの友達」

彼女の顔を一瞬だけ見てから、小さく頭を下げます。

「はじめまして」

兄と付き合っていたころ、彼女はよく実家に遊びに来ていて、リビングで一緒に鍋を囲んだこともあります。ここで「お久しぶりです」と言えば、友人の前で兄の話が始まってしまう。彼女がそれを望んでいるとは思えませんでした。

彼女はコートを腕にかけたまま、「はじめまして」と返してくれました。

友人にだけ打ち明けたこと

乾杯のあと、話はほとんど友人が回していました。失敗談に笑いながらも、彼女のほうへはあまり目を向けられません。目が合えば、知っている顔をしてしまいそうでした。

彼女がトイレに立つと、テーブルに身を乗り出します。

「さっきはじめましてって言ったけど、俺、あの人のこと知ってる。兄貴が前に付き合ってた人なんだ」

友人は取り皿に伸ばしかけた箸を、箸置きに戻しました。

黙っておくことも考えました。けれど、いつか友人が別の形で知ったら、あの「はじめまして」は2人の口裏合わせに見えてしまいます。それだけは避けたかったのです。

「別れたのは兄貴のせいだから。あの人が話したくなったら、そのとき聞いてやって」

就職してから兄の返信が途絶えがちになり、最後は彼女から別れを告げられたと聞いています。「あいつは何も悪くない」と母に話していた兄の声を、今も覚えていました。

そこで、もう一段声を落とします。

「俺が話したことは、本人には言わないでおいて」

顔を上げると、テーブルのすぐ手前に彼女がいました。背もたれに体を戻すと、友人が振り返って「おかえり」と声をかけます。どこまで聞こえていたのか、彼女の表情からは分かりませんでした。

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改札の前で下げた頭
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