彼女の卵焼きを「まずい」と送った俺が、洗った保存容器を返すときに言えなかったこと

コラム

卓上の札に書かれていた味

会社の近くで、甘い卵焼きを出す定食屋を探しました。焼き魚の定食に卵焼きを付けて頼むと、卓上には甘い卵焼きと書かれた札が立っています。

1切れ目はやはり甘く、2切れ目には、あの日と同じように慣れていました。甘さは少し強いものの、彼女の卵焼きと同じ、砂糖の効いた味です。驚きはしても、まずかったわけではない。そこでようやく、自分の打った文面の正体が見えました。

札が入るように写真を撮り、同じ甘い味だと伝わるつもりで送信。

「今日の昼、これ頼んだ」

届いた返事を読んで、写真がどう見えたのかに気づきました。

「お店のなら食べられるんだね」

慌てて、2通続けて送りました。

「違う。同じ味か確かめたかった」「まずいって言ったの、取り消させて」

次に届いたのは、味とは別の話でした。

「まずいより、お前って言われたのが嫌だった」

普段は名前で呼んでいる彼女に、あの日だけ父の言葉が丸ごと出ていた。母が笑っていたのは本当に平気だったからなのか、俺は1度も聞いたことがありませんでした。父のことを書きかけては消し、短く返しました。

「ごめん。もう言わない」

そして...

次に会う日、いつもの改札で彼女と会いました。洗った保存容器を入れた紙袋を差し出し、口にしたのはこれだけです。

「これ、ありがとう」

全部食べた、おいしかった。そう言うつもりで持ってきたのに、彼女が小さくうなずいて受け取るのを見て、続きを言いそびれました。

家の冷蔵庫には、自分で焼いてみた卵焼きが1切れ残っていました。砂糖をどれだけ入れるのかも、父の口ぐせのことも、彼女にはまだ話せていないままでした。

(20代男性・営業職)

本記事は、読者アンケートに寄せられた実体験をもとにした本人視点の記事を参考に、相手側の心情を想定して制作しています。実際の相手本人への取材ではなく、編集部による解釈を含みます。

(ハウコレ編集部)

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