赤信号のたびに彼女の手を離していた僕が、改札で「いつも、ありがとう」と言った理由

コラム

その日、青信号に変わっても彼女の手は伸びてきませんでした。改札の前で僕が言えたのは、一番大事な理由を抜いた短い言葉だけ。あの手を待つばかりだった自分に、その日ようやく気づいたのです。

ズボンの右ポケットには、折りたたんだハンカチを1枚入れていました。赤信号で立ち止まるたび、そこへ右手を入れるのが癖。青に変わると、先に手を伸ばしてくるのはいつも彼女のほうでした。

体育祭で言われた一言

きっかけは中学の体育祭です。フォークダンスで手を取った同級生に、小さな声で「ちょっと湿ってるね」と言われました。笑いまじりの声で、悪気はなかったのだと思います。

それ以来、手のひらが気になるようになりました。歩いている間は平気でも、立ち止まると意識がそこへ集まってしまう。だから信号で止まるたびに手を離し、右手をポケットに入れて、外から分からないようにハンカチで手のひらを拭いていました。

彼女とは付き合って8か月。拭き終えてポケットから手を出すと、彼女の手が僕の手をつかんでいました。拭いたばかりの手でよかった。そうほっとして歩き出すのが、いつの間にか当たり前になっていました。

伸びてこなかった手

駅前の大きな交差点で赤信号につかまったのは、彼女の最寄り駅まで手を繋いで歩いていた途中のことです。いつものように手を離し、ポケットの中で手のひらを拭きながら信号を見上げていました。

青に変わると同時に、周りの人たちが一斉に歩き出しました。いつもの手が来ないまま、人の流れにつられて2、3歩。振り返ると、彼女の両手はカバンの持ち手の上に重なっていました。

「行かないの?」

「行くよ」

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